マリーの脳蜜。

ナカムラルビイの脳みそから抽出されたもの

駄菓子屋のババアは歳をとらない

創作小話です。



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自転車で20分。それが私の家から、母校までの距離だった。
歩いて2分。それが私の家から、「松乃屋」までの距離だった。

松乃屋は、駄菓子屋である。

Tマークの車がよく走っているこの街は、所謂ベッドタウンであった。
車を走らせたらば、それなりにファミレスもあって、それなりに家電量販店もあって、それなりにコンビニもある街だった。
けれども、快速では飛ばされる最寄駅の方まで歩いていけば、営業しているんだか営業していないんだか分からない喫茶店があった。その近くには、営業しているんだか営業していないんだか分からない店が多く立ち並ぶ商店街がある。つまるところそれは"シャッター街"と呼ばれる商店街で、その中の一つに松乃屋はあった。
中途半端に増築された松野さんの家の隣にあるその店は、トタン屋根で、黄ばんだアクリルボードの"松乃屋"という看板、手動の引き戸には、日焼けしきった色画用紙に書かれたかき氷のメニューが365日掲示されている。
サブカル女ですら通り過ぎるほどに小汚い店だ。
学校帰りにふらりと立ち寄ると、小さいテーブルにそこそこ新しいテレビが置いてあって、おそらく松野さんの奥さんだと思われる老女が、丸椅子にデンと構えていた。
近所の子供たちからは「ババア」と呼ばれ、私も直接こそ口に出さないものの「ババア」として認識していた。
しかし、この場合の「ババア」は、年上の女性を口汚く表現したものではなく、名前も知らない彼女への固有名詞だ。
チャーミングなアップリケのついたエプロンを着けたババアであったが、ババアの中には、およそこれっぽっちもチャーミングという概念は無く、あるのはただの威圧感、ひいては貫禄だった。
テレビでは、始終、吉本新喜劇、あるいはたかじんのそこまで言って委員会の録画が流れていて、ババアはそれをいつも観ていた。

そんな松乃屋に行く頻度は、中学、高校、と、歳を重ねる度に減っていった。
さて進学か、就職か、と悩んでいる頃には、もうサッパリ行かなくなってしまった。
なんとなしに商業高校へ通っていた私は、これまたなんとなしに、美容系の専門学校への進学が決まった。
県内で一番栄えている都市にその専門学校はあった。良い機会だと、私もその都市で一人暮らしを始めることにした。
引越しの前日、私は久方ぶりに松乃屋へ行った。
既にやしきたかじんはこの世の人では無くなっていたが、あの駄菓子屋では、たかじん田嶋陽子の言い合う声と、ぱち、ぱち、と、そろばんをはじく音が響いていた。
そんな姿を見て、私は、ただぼんやりと、初めてここで10円ガムを買った時とのデジャブを感じていたのだった。

ババアのいる街から離れて過ごしたアーバンライフは、思い描いていたほどたいしたものでもなく、私の日々は、高い家賃の為に始めたガールズバーのアルバイトと、作家志望の先輩を通して知り合ったバンドマンの彼氏によって消費されていくだけであった。当然、家賃よりも高い学費を継続して支払えるわけもなく、痺れを切らした親からの仕送りが途絶えた頃、私は中退してしまった。

それから2年。フリーター生活で磨耗していた私は、思春期を過ごした場所に戻ってきていた。
開発が進み、マンションがボンボン建っていた。
中国人だのブラジル人だのが住むようになっていた。
セブンイレブンでは"リ"というネームプレートをよく見かけるし、顔を見ただけで赤マルを袋に乱雑に突っ込む店員の名前は"ピケ"であった。

あと50年ぐらい経ったら、この街にも快速列車が止まるようになるだろう。
その時も変わらずババアは、吉本新喜劇やら、田嶋陽子の罵詈雑言やらを、聴いているような気がした。



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久しぶりに墓参りに行ってきました。

次回予告

ヤフオク!ニュースレターだけが俺に唯一季節感を与えてくれる

・田舎の中学生の絶対領域は白ハイソックスから膝下スカートのおよそ3cm

ピースボートのポスターがある居酒屋は大体信用しない

窪塚洋介のパラドクス

掃除機をかけていたら思い出したので「窪塚洋介のパラドクス」について語ります。
窪塚洋介のパラドクス」とは、先日の個展3日目に私が発案した哲学的思考実験です。

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前提:マンションの7〜8F以上から飛び降りると人は死ぬ(完全自殺マニュアルより解釈)

前提:マンションの9Fから落ちても猫は死なない(ちょっと前にLive Leakで見た)

前提:窪塚洋介は9Fから落ちても死ななかった

結論①:よって、窪塚洋介は猫である

前提:私は猫が大好き

前提:私は窪塚洋介が大好きではない

前提:窪塚洋介は見た目から推測するに、人間である

結論②:よって、窪塚洋介は人間である

結論①と②が導き出されたことによって、「窪塚洋介のパラドクス」が生じる。


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語感の良さから「パラドクス」を「矛盾」と同義として称していますが実際の意味はちゃんと分かってないです
合理性を欠いた文章だ!(Yahoo!知恵袋より引用・編集)

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猫が死んだぶりにブログを更新しました。

愛される人は忙しい

恩師のお見舞いに行って参りました。
「愛されている人は忙しいんだなぁ」と思ったよ。


@shojoshoujo: 部屋掃除しているので面白いごみがいっぱいつくられていく。市指定ゴミ袋(ダッチワイフ入り)とか、市指定ゴミ袋(頭部入り)とか。ルーツは作品を捨てる にあるので これはいいぞ。使える。

私は再び構築に戻りました。永遠を逡巡し、恒久に囚われる。語感がいいだけで意味は無いです。
思えば、小学生の時は図画工作でつくったもの達は持ち帰ると即ゴミ箱行きでした。
過去を生き、現在を捨てるようなことは生き続けていないと起こり得ません。

@--------: 年数が経つほど愛着が湧いてしまうので(中略)家族も子供も恋人も、時が経つほど残酷性を帯びてくるぞ。

@--------: 生まれてきたことそのものが悪になり得るの、人間だけだよ。クッソ面白いっしょ。

@--------: (略)無駄っていう概念自体が生そのものの輪郭をあらわにしてっけどな。



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美しいもの。


ところで!
BSスカパー241にて放送中のBAZOOKA!!!という番組に出演決定です!近日放送予定です。。よろしくね。

地下女子解散まであとちょっと!

価値観 考え 変わりつつある今ですが
過去の私に対して未来の私が というか 過去の私が暴発しないように 今のうちに考えを吐き出す!という 表現 それをこの間の地下女子の時に文字に起こしました。(あとダイソーで黄色ヘルメットと日本と書かれたハチマキ購入したため)

以下、それ。


【地下女子案8/1】(25分)

SE:Go Go スターリン(1:48)
「誰だー!」の後、
拡声器で叫びながら会場ドタバタ。旗を掲げる。割と何してもいい。(物は壊さない!)

曲終わる間際にサイレンの音を流す。歩きながらステージへ向かう。
マイクの前に立ち、作文用紙を取り出す。演説。

マリー「私たちは右の翼も左の翼も持たない。私たちは飛べない。地を這いつくばるだけだ。何故か?地下アイドルとはそういうものだ。地下アイドルには小難しい思想は要らない。政治も宗教も、それらは自分たちがなり得るものだ。意志を持った肉塊として生きよ!戦争も恋愛も生死も大地震も大津波も赤道直下の国々も先進国も羞恥心も、表現をする為のモチーフだと置き換えるなら、それ以上でもそれ以下でもない同等の価値だ。」

レニー「今こそ闘争を!マルクスよ、よく聞け!理想郷は共産主義では無い。快楽主義こそ全てだ!おい日本人。セックスレスは大いに問題がある。少子高齢化?子供達よ、性器を奮い立たせろ!老人よ、嘗ての栄光を取り戻せ!少女は処女のままで、それ以外は全員ファックファックファック!命を作れ!黄泉の門を叩くな、菊門を開け!絶望主義の奴らはつまらない。我々の赤は革命の赤だ。しかし同じ血でも死の赤ではない。バージンが散らした牡丹の赤だ。いわば、生へ直結するものだ。」

マリー「日の丸弁当ぶら下げて」
レニー「私たちが歩むぬかるみは、」

「どこへ続いていくのでしょう。」

★バージン・ブルース(3:00)(6分)

……(略)


アングラを、表現できるオーバーグラウンドへ。。この文章は、その、一歩。今の私は、これらの文字列には参入しておりません。すでに、エスカレーター。登っています。(エスカレーターは歩行禁止です。)
サブカルは、あくまで、サブであって、とらわれるべきでない、存在。
成長です。さようなら、旧人類!
私は、トラウマを、「性を、聖なるトラウマとして」などという、クソくだらねえものは捨てました。さようなら。
美しいものは、美しいもののみ、共鳴されます。「醜いものは、グッドバイ。お前ら、全員、地獄道。」無意味な、賛は、性の、タガ。(違。)(互いに。)(違う。)(たがう。)

性も、死も、使わずに、生を表現できること。。
9月に、タイに象乗りに行ってきまーす(^o^)/


今日は!

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にんげんごうかくしたいですね!

@Ruby11089: 命なんて考えずに意志を持った肉塊として生きよ!戦争も恋愛も生死も大地震も大津波も赤道直下の国々も先進国も羞恥心も、表現をする為のモチーフだと置き換えますと、それ以上でもそれ以下でもない同等の価値になるんです。ですから、


ですからの続きは思いつかない。未だに。
今日はマママニのライブでした!堀江さんは相変わらず結婚したい既婚者NO.1だったし、メガネ忘れてブルーだったけどたのしかった*\(^o^)/*あと両鼻の穴を怪我した昨日。
賛否の賛は受け入れられない!

展覧会が終わりました。
意図した空間作りが出来ないのは、類は友を呼ぶとかそーゆーアレのアレなわけで、自分たちの意識が足りなかったとか、そーゆーアレなアレだと思った。チープな演出が真のチープになってしまうのは、違う。それは求めていない。だけどそうなってしまったのは、、、、などと考える。だけどもハマロ(元カノ)の作品は好きだし、恋人でなくなった今も、彼女は好きだ。というか、人として好きになった。ので、また同じ空間で次はもっとより良いものを作りたいと思いました!など。

「人を好きになるのは、ニューロンの伝達ミスで、電気信号の狂れでしかない。」
そんなことを言えない人間になりたいなぁ〜!

今日は、どんなに親しくても(それは仮に親族関係であったとしても)(血が繋がってなければ書類上の交わりでしかないのだろうか)(吉本新喜劇の限りではそんなことないけれど)ブレるときゃブレるし、信用ならんもんだなあという発見。いや、世の中平和になんねえかなあ〜ハッピーにさ。おやすみ。明日はパスポート作るぞ〜
9月に象乗りに行って死体を見て、アライブな人達を見にタイに行ってきます。


今、富士子のしっぽの付け根いじりすぎたら手が臭くなった。猫もスカンク的な部位があるの?寝る。

こんにちは

作品展を通して 考察になりえるいくつかのワード

@shojoshoujo: 対価こそ絶対 肯定は必ずしも正義ではない

快楽が先か、生存本能が先か

救いは絶対!!私は神だから!!(絶対的に大事なもの)(真のもの)

母の小陰唇が緞帳 生まれた時から最後まで演るしかない(フレディ・マーキュリーの言葉のもじり)

今ここで死んでは、最後に恥のみ晒すことになるので、生きるしかない!


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作品展をやっています
いざ価値観の変わる時!
生存本能に反する愛は穢らわしいものか?